狭間と空席

架空の記憶の堆積が物語を仮説させる、とはあり得ないことだろうか。写真の抱えるポテンシャルの1つは、そうした目には見えないが確 かに存在する狭間を空席とみなし提出し得る点にあるのではないだろうか。そうした写真のもつ力と、不足や不在と古来から不即不離であった日本という方法に 近接したい。