はしばしに

人が人に言葉を向ける時、その言葉がもっとも 作用しているのは聞き手に対してではなく、話し手の気分に対してではないだろうか。自分の言葉によってアコーディオンのように膨らみ縮みするはしばしに現 れる気分こそが、言葉を聞き手に届かせるフックなのではないか。同じ言葉を真逆の意味によって伝えることも、ただの背景や一生の思い入れとすることができ るのも、言葉と気分との連絡次第なのかもしれない。ある何かが励起することが写真によって可能だとするならば、それは写真そのものがそうした気分を備えて いるか、その写真が否応無くそれぞれの気分を言葉と共に応じさせたがるようなものなのかもしれない。